自分の寿命も見当がついてくると、自分の存在のルーツが気になるし、生き様も気になってくる。 自分の先祖があってこそ今の自分も存在するし、自分のこれまでの人生はどうだったのかを考えることも多い。 若い頃は年寄りが何かというと「ご先祖様」というのがいかにも古臭いという感じがしたものだが、 自分の前には親の人生があり、その前には親の親、つまり、祖父・祖母の人生があり、その前には祖父の父母があり・・・と遡っていくと、意外な物語が展開したり、そんなことがあったのかということがわかってくる。 あるいは意外と昔でもないのに情報が全く欠如していることもある。 将来はDNAから遡って情報がわかるだろうが、少なくとも先祖というか係累というか自分が知っているだけの情報は残しておくのが、子や孫に対する義務であると思う。 |
系図作り | 系図があるという家は結構多いかも知れないが、近年も書き加えられて現在につながっているという家は少ないと思う。 もっとも系図があるといっても系図の最初の部分など明らかに怪しげな内容のものが多いと思うが、多くの系図は江戸時代で終わっているものが多い。それは100年とか200年昔に系図を買ったり、作ったりした可能性もある。 で、お勧めは、自分から遡り、親、祖父母、祖父母のさらに父母は誰なのか、いつ生まれていつ亡くなったのか、名前は、戒名は、その兄弟は、などとルーツを辿るといろいろなエピソードも判ってくる。 人の記憶は二三代前のことになると、意外と名前も確かでなくなったりする。今調べておかないと永久に判らなくなることもある。 従兄弟の氏名を全部きちんと記憶している人も少ないと思う。人間の記憶はそれほどいい加減なものだから、記録に留めることは非常に重要である。 とりあえず実家の仏壇の中の位牌の内容を全部記録してみよう。墓碑と墓誌を見て位牌と照合してみよう。 一族の長老に会って話を聞こう。 法事は血縁のある一族の集う良い機会であり、皆の記憶を集めて情報をまとめることが出来る。そのような話題こそ法事にふさわしい。 寺の過去帳を調べて歴史を遡るのも良い。 聴き取った情報と組み合わせながら、現在から過去に遡りながら系図を作っていくことに意味がある。 集めた情報はCD−ROMなど保存性の良い媒体に記録して、子孫に残す手段を講じておくとともに、係累に配布しておく。 |
自分史つくり |
系図を作っているうちに、系図の中の一代を自分が占めるわけであるが、自分の人生の最初から今までの経過を思い出し、記録にとどめるのも良いだろう。 老化とともに記憶力も衰える。思い出の資料とともにこれまでの自分の姿を記録してみたい。 子供の頃のアルバムは記憶を思い出す良い材料になる。親戚の人と昔の話をしてきてエピソードが浮かぶかも知れない。 社会の大きな出来事と合わせて思い出し、そのような事件や出来事のときに自分は何歳で何をしていたかを思い出すと良い。 また、自分にとっての大きな出来事の年、つまり、誕生、入学、卒業、入社、結婚などの節目から記憶を辿るのも良い。 |
影響を与えてくれた人 |
父母は当然のこと、教師や、友人、先輩、知人など自分の人格形成や、生活していく上で大きな影響を与えてくれた人、世話になった人、親しい人などのリストを作ると、いかに多くの人の世話になったかがわかる。 これらの人に対する感謝の念を込めてリストを作り、どのような恩恵を蒙ったか記録しておくと良い。 |
お墓 |
一族の墓は情報の宝庫である。父の家系、母の家系、など遡って調べることが出来る。 墓石に彫ってあるので戒名などはいつでも読めると思っていたが、古くなって風化してくると墓石に彫ってある文字が読めなくなる。 拓本をとれば一番良いが、風化が進む前にせめてデジカメで撮影しておくと良いと思う。 |