1962年(昭和37年)9月16日〜19日
トヨタがパプリカを発売した年で、これに乗るディーラー・チームが出現した。前半は雨らしい雨も降らなかったが
●コース 東京(神宮外苑)〜柳沢峠〜塩山〜静岡〜舘山寺(1日目ゴール)〜飯田〜大平峠〜下呂温泉(2日日ゴール)
●距離 1150km
●概略
●参加台数 48台
【総合順位】
●オースチン
●神宮外苑にゴールするスバル450(佃・山上組)
【再録、アルペンーこぽれ話】
メッサーシュミット、スタート直前でリタイア
審判団の作戦勝ち?
「シートベルトしめるなんて、外国みたい」
3日日の最難関で終日雨と風にたたられた。まさに「土ホコリと石と水」の闘いとなった。
〜高山〜乗鞍山頂〜安房峠〜鳥居峠〜上諏訪(3日目ゴール)〜和田峠〜下仁田〜浦和〜神宮外苑
・第1日日 奥多摩湖をすぎ、舗装道路ともわかれるとトタンに細い悪路。柳沢峠の登りでは、カンカン照りの太陽と
風のまったくない山中のこと、オーバーヒートやペーパーロック症状で動きのにぶい車が続出。
・第2日日 いよいよ本格的な山岳コース。天竜川にそって佐久間ダムヘ。
・第3日目 朝から雨がはげしく、昨日までの土ホコリにかわり、きょうはドロンコレースになった。
・第4日日 空は晴れて気持ちよいが、またまたホコリ・レース。都内に入ってから白バイにつかまるレース車もあって、
「都内40`とはムチャ」との声も。
優勝 岩田安広・橋本(クラウン)
2・山口、浅賀(ブルーバード)
3・三井、天川(プルーバード)
3・松田、志賀(クラウン)
4・宇田川、立石(ブルーバード)
5・佃、山上(スバル450)
6・石沢、石沢(ヒルマン)
7・古我、村上(スカイラインスポーツ)
8・原、佐藤(オースチン)
9・猪山、小林(ワーゲン)
10・西塚、吉田(オースチンワゴン)
11・田中、熊谷(オースチン)
11・稲田、中村(オースチン)
11・真下、真下(クラウン)
11・奥山、犬塚(プリンス)
11・安井、伊藤(クラウン)
12・内藤、米村(コンテッサ)
13・長谷、助間(ベレル)
14・伊藤、川村(ブルーバード)
15・阿部、衣笠(クラウン)
16・九鬼、矢島(プリンス)
17・伊藤、山口(クラウン)
17・山口、山崎(ヒルマン)
18・中野、安斎(パプリカ)
19・浜島、佐久間(プリンス)
19・井上、荒木(クラウン)
20・伊藤、伊藤(クラウン)
21・中村、平山(クラウン)
22・前川、寺沢(セドリック)
22・森、清水(三菱500)
23・西下、荻原(セドリック)
24・川浦、山田(プリンス)
25・宮園、伊神(ルノー)
26・森、福永(コロナ)
27・田中、岡本(オースチン)
27・戸田、戸田(コンテッサ)
28・久恒、松村(クラウン)
29・浜瀬、都築(オースチン)
30・山岡、仁藤(ヒルマン)
31・井上、藤本(タウナス15M)
32・野崎、大塚(クラウン)
33・茂手木、松原(オースチン)
34・菅原、菅原(セドリック)
35・小長谷、鈴木(セドリック)
36・山内、石井(シポレー)
37・越田、堀江(コロナ)
38・清時、吐田(ルノー)
【失格】
・伊藤、外山(プリンス)
【リタイア】
・中里、中里(メッサーシュミット)
参加車中の異色、中里父娘の乗るデメキン蛙スタイルのメッサーシュミットは、スタート直前になってブレーキの
油もれで残念ながら出場不可能になってしまった。生まれてはじめてのラリーなので、最終的には失格でもいいから、
第2日日から競技に参加したいとの希望で、第1日日だけの地図を渡した。一度家へ帰り修理して第1日目の宿泊地へ
向かうという。結局、修理完了後、箱根まできたがまた故障でついに参加を断念。表彰式の日、有料道通行券を
コース案内図にはって持ってきていた。
あとで気づいたのだが、第1日目の「その1」しか地図は渡しておらず、もし走っていたらさぞかし困ったろうと
審判団は冷や汗をかいた。(日刊自動車新聞1962年9月29日)
ラリーとは、どんなところにチェックポイントがあるかわからないから、常にピタリピタリと走っていくのが
一番よいが、車の性能や地形、道路状況により、不可能のところも多い。そこで作戦をたてて、どこで余裕をとるか、
どのへんにチェックがありそうかなど予想しながらいくのがラリーの一つの面白さ。
しかしこんどの審判団は、わりあい、ウラをかいたこともなく、まず余裕のとれるようにポイントをおいていたようだ。
ただ最後の都内は、完全に審判団の作戦勝ち?(日刊自動車新聞1962年9月29日)
轄sc工業のタカタシートベルトがレースを前に参加車両に1本ずつ、大豊産業から贈られた。関東地区の車は
10日から14日まで、それ以外の車は15日の壮行会のあと取りつけられた。とにかくウワサに高いアルペンの悪路だけに、
選手も一応シートベルトの効用はみとめて、会車よろこんで取りつけたが、さて出発してからゴールまでの4日間、
予想通りのものすごさ。はじめてシートベルトの有難さがわかった形。
ある選手はレース終了後、「ベルトをしめるなんて、いままで外国のはなし程度に考えていたが、こんどは有難さが
よくわかった。姿勢はくずれないし、悪路でも平気だ。4日間しめていたら、なんだかしめないと気持ちがわるい」
(日刊自動車新聞1962年9月29日)
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