1960年(昭和35年)9月22日〜25日
今大会は上高地の混雑を避けるため夏シーズンをやめ、9月に開催した。第1回同様ナイトランは行わず、
●コース 東京(神宮外苑)〜熊谷〜新町〜前橋〜中之条〜長野原〜万座峠〜村山橋〜長野〜関温泉(第1日ゴール)
●距離 約1000km
●概略
●参加台数 35台
【総合順位】
●神宮外苑からスタート(原田・松原組のオベル)
3泊4日の日程で開催。前年に増して外車の参加が多かった。
前回では豪雨のため果たせなかった乗鞍岳の登頂に成功し、しかも全車完走を果たした。
〜高田〜直江津〜糸魚川〜青木潮〜大町〜豊科〜島々〜安房峠〜平湯温泉(第2日ゴール)〜乗鞍岳〜塩尻〜
富士見〜小渕沢〜八日村〜鰍沢〜下部温泉(第3日ゴール)〜精進湖〜須走口〜御殿場〜駿河台〜箱根〜小田原〜
大磯ロングビーチ
・第1日日 この日の難関となったのは万座峠。当時一応有料道路となっていたが、道だか川原だかわからない
ような状態だ。山腹を切り崩しただけで、岩石がゴロゴロしている。延々と続く登り坂でオーバーヒートする
車が続出した。
・第2日日 関温泉をスタート、日本海側に向かう。さらにアルペンラリーの難関、梓川沿いの登りに挑む。
ひとたび雨が降れば、滝のように流れ落ちる岩石、崩れる路肩と、一歩誤れば地獄行きの難所。
道路標識といえば「危険、徐行、路肩注意」ばかり。こうしたコースこそアルペンラリーの本領といえる。
・第3日日 安房峠のコースは車幅いっぱいのきわどい山道だ。先方からバスでも来ようものなら大変。
登り優先とあって、下るラリー車は薮の中にでも突っ込んでバスを見送らねばならない場面もしばしば。
・第4日日 もう難所らしい難所はない。中屋敷の七曲も鼻唄まじりで、静かな山村の段々畑を縫っていく。
どのチームも一定の速度で悠々と走っている。秀麗な裏富士を眺めつつ精進潮を通り、4日間悪戦苦闘した
レースを反省しながらゴール。
優勝 藤井正行、藤井義子(オースチン)
2・坂口竜三、松沢三男(オースチンバン)
3・森 正亮、比濃成一、田中 暁(クラウン)
4・富田 実、道中義治(プリンス)
4・川野辰夫、川野文夫(クラウン)
5・松井英男、石黒良雄(ブルーバード)
6・舌我信生、浜島輝之(スカイライン)
6・名須川昭、藤森敏夫(ダットサン)
6・野瀬康二郎、町田久夫、鈴木 操(クラウン)
7・内田一郎、内田初技(ルノー)
8・山本幸ニ郎、阿部方規(VW)
8・石沢長一郎、石沢幸二郎、大山博史(ヒルマン)
9・野崎純一郎、大塚和子(クラウン)
10・小林彰太郎、武田秀夫、小林万里子(オースチン)
・田中 登、湖上 昇(ルノー)
・安田泰夫、荒井忠義(ヒルマン)
・近藤和男、清時竹彦(ルノー)
・内田幹樹、クリック・シユミッツ(ルノー)
・古川博也、岩田有規子、竹田京子(トヨペット)
・関塚和吉、関塚愛子(クラウン)
・戸田 裕、戸田 稔、星野静代(ルノー)
・亀田 清、高橋芳弘(コロナ)
・長島克巳、堀 靖彦(オースチン)
・長瀬二郎、井口正紀、高柳玄治(トヨペットマスター)
・堀 栄一、小谷敏夫(ルノー)
・成富 知、茂手木浅代(オースチン)
・山内義男、真下 明、小島トヨ子(トヨペット)
・中 立樹、中村 尚(ヒルマン)
・小笠原雄輔、住谷芳文、会沢悦夫(プリンス)
・宮川敬一郎、臼田惣一、伊東良二(コンサル)
・原田浩平、松原軍次(オペル)
・宮園禎雄、飯塚 昭(ルノー)
・平岡久治、早川 章(トヨペット)
・中津海深、椎野 了、秋本金八士郎(ブルーバード)
・稲田寿子、小田徹也、柳田緑郎(オースチン)
アルプス走破1000キロ 長尾伸二郎 / JMC graph 1960 Vol.2 No.12 99-102
我国で最も本格的な山岳ラリーであるアルペンラリーも今年で2回目、昨年奮戦して十分に自信をつけた人が参加者の半数を占めて21日に打合わせが行われた。既に前日からして意気込みは凄くどの顔も優勝を目ざして真剣そのものだった。審判団もこれに応えて緊張の度を加え、この日に戦いの幕は切って落された。
第1日(9月22日)
第2区間 新町−長野原 79.3` 指示速度30`/時 標準所要時間2時間38分
第3区間 長野原−須坂市村山橋 64.8` 指示速度速度21`/時 標準所要時間3時間5分
第4区間 須坂市村山橋−関山スポーツホテル 指示速度27`/時 標準所要時間2時間10分
第2日(9月23日)
第2区間 糸魚川−青木湖 66.7` 指示速度30`/時 標準所要時間2時間13分
第3区間 青木湖−島々 56.1` 指示速度 33`/時 標準所要時間1時間42分
第4区間 島々−平湯 45.6` 指示速度18`/時 標準所要時間2時間32分
第3日(9月24日)5時起床、スタートに先立って乗鞍登山、昨年は台風でここに登れず、涙をのんだから一年ぷりに宿望を果たすというわけだ。登山口は見通しがきいたがだんだんと登るに従って霧が深くなり、半分程来たあたりでは2b先がボンヤリしてきた。空気が稀薄になったせいか、エンジンもカがなくで悲鳴をあげっ放しである。何度か引返そうかと思ったが、自動車で登れる最高峯を征服せんものと、オーバーヒートのエンジンをなだめすかして坂を上がる。有名なハイ松も見えず、ただ上がるというだけだ。しかし「山がそこにあるから登る」という登山家の気持は身にしみてわかった。
第1区間 平湯−富士見 138.2` 指示速度 24`/時 標準所要時間5時間45分
第2区間 富士見−山梨県八田 41.8` 指定速度21`/時 標準所要時間1時間59分
第3区間 八田−下部 37.1` 指定速度27` 標準所要時間1時間22分
第4日(9月25日)
第2区間 精進湖−須走口 43.1` 指示速度30キロ`/時 標準所要時間1時間26分
第3区間 須走口−駿河台 41.4` 指示速度24`/時.標準所要時間 1時間49分。
第4区間 駿河台−大磯 41.4` 指示速度30`/時 標準所要時間1時間12分
梓川に落車するの記 JMC取材担当N / JMC graph 1960 Vol.2 No.12 101
【アルペンこぼれ話】
審判車温情の違反
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第1区間 神宮外苑−群馬県新町 98.8` 指示速度42`/時 標準所要時間 1時間21分
スタートは午前5時半からだった。手渡されたこの日のコース図を見ると、中仙道を北上するのは誰でもが予想していたが高崎から碓氷峠を越えるのではなくで渋川から長野原線に沿って行くようになつている。
指定速度は42`だ。早朝の中仙道だからプッ飛ばせると思ったがどっこい、そうはいかない。あたりに車なきを幸いとばかり、定期便のトラックが積荷満載で前からも後ろからもやってくる。42`のスビードをコンスタントに維持するためには、最高速度を65`ぐらいにすることもあるが、この御キゲン道路を走るには、ちょっと中途半端だ。
最初のチエックポイントは先ず高崎を過ぎたあたりだろうと考えたらしく、どの車もスビードを楽しんで先で調整しようと作戦に出た。
しかしチェックポイントは高崎よりも手前に現われた。利根川の鉄橋を渡って群馬県に入るやいなや、赤いプルーパードが道の左側に止っていた。スタートから100`をちょっっと割った地点だ。
今度のラリーから、チェックポイント通過の方法が変った。
前は車の中から手を出してカードを貰うやり方だったが、車を下りて貰うということに変えられた。この方法についても前日の打合わせでは、実に活発な討論がたたかわせられた。車から下りてから、審判員のところに歩いていく間に時間の調整ができるではないか、とか車をポイントからずっと離れた場所に止めれば早過ぎた時に役立つだろうとの意見が出た。れも審判員の判断により、特に目に余るものは減点ということになった。
高崎市の手前の橋を渡り、直進して前橋へ向かう。とたんに道が悪くなり、砂塵がもうもう。
矢張り一級国道を離れると道が悪くなる。30`の指示速度はちょっときつい。
だんだんと道が悪くなって山岳ラリーらしい感じが出てくる。吾妻渓谷は名にしおう名勝地だけに、岩と流れがなかなか見事だつた。沈澱しでいる土砂の色か、それとも水に含まれているのだろうか、河の色が赤褐色をしていてちょっと不気味な感じがする。
第二チェックポイントの長野原は、ちょうどこの道にあきた頃に現れた。まずまず予想通りの妥当なところでこの区間も大して目立った失点は見られなかった。
ここの街道はその昔江戸時代に、碓氷峠が大変な難所だった頃、上州と信州をつなぐ重要な路線だったという。そのまま真っ直に行くと鳥居峠経由で、上田に出る道である。
今ではすっかりさびれてしまい、たまにトラックとすれ違うだけである。三原でコースも万座へと向う。
こんどは登り道だおまけに曲りくねっといる。木材を山と積んだ大型のトラックがニュッと顔を出した。あわてたゼツケン24番のオースチンが急プレーキ、全く紙一重の差だった。後になってドライバーの成富さんがしみじみた曰く、「あの時は本当にもう駄目だと思いましたよ」助手席にいたお姉さんの茂手木さんは運を天に放せていた由。ドライプが好きでこの間も三日間かかって東北地方の山々をかけめぐったというベテラン。
皮肉なことに国土開発の有料道路に入ると路面が俄然悪くなった。岩がゴロゴロしていて、傾斜は大きいし、どの車も喘ぐようにしてヨタヨタ上って行く。指示速度が21`だといってもこれではたまらない。とうとうボンネットを開いて冷やす車が現われた。ひょいとと温度計を見ると100度になっていないのにラジエーターがブクブク沸騰している。おかしいなと思ったが、高いので気圧が低く、100度以下で沸騰するらしい。
行けども行けども道は良くならず、傾斜も楽にならない。前を行く31番の52年型のダルマのオースチンがストップしてしまい後押ししている。大変なところでエンコしてしまったなと後押しを手伝いながち様子をきいてみる。プラグが1本濡れてしまい三本足になってしまったたんだそうだ。名だたるペテランの小林さんもどうしようもない。それにしても52年型は2番のオペルと共に最年長車。
「わざわざ古い車を選んでラリーに参加されたのですか?」
「いや、そうでもないですが、この車にいつも乗っているので」
「でも他にもぃるいろな車を持っておられるようですが?」
「他の車はもっと古いですよ」
成程流石にクラシックカークラブの会員だけのことはある。52年型はまだまだ壮年の部に属するというわけか。
万座の温泉郷が見えて来て、道は下りになる。またすぐ上り。そして二番目の有料道路は長野電鉄の万座道路だ。そろそろチェックポイントが現われそうだ。おくれを取戻そうと大分楽になった道をすっとばす。
長野まで舗装の直線路、ところが長野市内でどの車も迷ってしまつた。多分ここにはチェックポイントはないだろうと思ったが、この迷路をあちらこちらとさまよう。
北国街道は道が悪く、27`の指定速度でまずまずだった。
時折バスの巨体に邪魔されながら、日のかげった妙高高原の関山ホテル前へゴールイン。
ところがゴールを閉鎖してもまだ来ない車が3台あって、審判の気をもませることしきり。
結局2時間近くも遅れて3台共ゴールしたが52年のオペルを始めとしてエンジンの故障。100点の減点を食ってしまった。
この日の成績は故障による大量失点を除いては、まずまず優秀というところ最少失点は2点というのが5組もあった。
第1区間 関山−糸魚川 73.5` 指示速度33`/時 標準所要時間2時間13分
スタート1分前に渡された地図は北国街道を直江津に出て、糸魚川からまた南下して穂高を通り乗鞍の麓の平湯温泉までのコース。日本海に出ようとはちょっと予想が立たなかったろう。 細いデコボコの北国街道を33`で行くのは可成りキツい。ホーンを鳴らしっばなしで周囲の人は何事かと飛び出した。ところが新井から高田に行く道が素晴らしかった。意外だったに違いない。こんなことなら無理してあの砂利道をとばすんじゃなかったと後悔したが後のマツリ、勝手知らない道はどうもこういう点では不便だ。
直江津あたりだろきと思ったチェックポイントはない。道はまた悪くなった。しかし日本海のながめはなかなか趣深い。
この辺は遠浅らしく、沖まで海面がいかにも平ぺったく見える。
さっきの舗装路のおかげでこの区間は割と楽だ。力メラをとり出してパチリと楽しむ余裕もあった。
糸魚川の第一チェックポイントは、予想よりも大分先だった。ここでは日本海とお別れして大町へと南下する。黒部川に沿った道で、時折ダムが巨大な姿を見せる。
ここまでくると如何にも東京を遠く離れたという感が深い。新潟県から再び長野県に入ったが30`のスピードはちょっと余裕がなかった。青木湖は木崎湖と南北に二つ並んでいる静かな山間の湖で、ボートが客待ち顔に湖畔におかれてあった。
松本まで南下して右に折れ、いよいよアルプス入り、昨年通ったコースでもある。あれから比べると路面は少々良くなったが、追越すことはできないし、33`の指定は苦しい。早く第3チェックが現れてくれることを望んで走ると、島々に黄色い帽子が立っていた。救われたような気持ちだった。
道というには余りにもお粗末だ。石がゴロゴロしている上に滝がそのまま道まで流れてくるところもあって、ドライパーもナビゲーターも散々に悩まされる。中の湯を過ぎたあたりから悪路はますますその様相を強め道巾は1台でやっと、最早や追越しもできず、遅れた車はそのままゴールするより他はなかった。それにも拘らず失点は非常に少なく、審判団も舌を巻いていた。ここで岐阜県入り。
約2時間半かかって頂上からおりて平湯のスタートヘ。山で手間取ってスタートに遅れた車はここで失点。
雨が降り始めた。山特有の激しい降りだ。道は忽ち河となり土砂が流れ、岩肌が露出する。
途中でバスがが落輪したために、思ゎぬ時間を食ってしまい、どの車もあわてはじめた。長い方は30分以上も時間のロスを生じた。おまけに指定は24`ときている。雨のために水量の増した梓川の上の道を時ならぬ車のオンパレード。成可くチェックポイントは先であって欲しいと念じながら。
松本かち甲州街道へ出る。塩尻峠までは大変な悪路。諏訪湖が見えるあたりからやっと持ち直した。チェックポイントは未だない。一日、二日は大体各区間を四分した点にポイントがあったがこの日は完全にウラをかかれてしまった。
甲州街道の悪路は誇大宣伝されていただけに案外でいささか拍子抜けの形だった。パスのために思わぬヒマ潰しをさせられた車も長い距離のおかげで回復することが出来、この区間の成績も比較的優秀だった。
甲州街道を韮崎まで行き、そこから右手に道をとるコース、またもや砂利のデコボコ道になった。交通量があまりに多くないのが幸、午前中アルプスで降っていた雨はいつの間にか止み、時折りさしかける太陽が蒸し暑かった。
この日はチェックポイントが2か所しかなかったのも背負い投げを食わされた形、下部までの道は富士川に一部分そっている。区間が短くもあったし、走りよい道だったので失点は少なくて済んだ。
第1区間 下部−精進湖 28.6キロ 指示速度27キロ/時 標準所要時間1時間3分
大方の予想は南下して東海道に出るコースだったが、境峠の曲りくねった上り坂を本栖湖に出るように指示してある。最終日とあって一同大いに張り切って坂を上がる。パノラマ台の横を通って本栖湖へ出て、次の精進湖へさしかかるとここが第1チェックポイント。成績はまずまず。
5湖沿いの道は米軍用の河口湖と山中湖の間を結ぶ素晴らしい道を除いては大変に悪い。しかし巾はたっぷりしているのが助かる。
アルプスの山中で追越しも自由に出来なかったのに比べると雲泥の差だ。
富士を右手に眺めながら雄大な出搬地帯を行く。
籠坂峠のあたりを除いては舗装がみられなかったが、日頃通いなれた道なので大した苦もなく御殿場から長尾峠の道をとる24キロの指示速度は比較的楽だった。
長尾峠から仙石原を通って天下の箱根路へ、生き返ったような気持ちだった。観光バスに邪魔されながら日曜の一級国道1号線をゴールの大磯ロングビーチへ。ご苦労様。
優勝した名古屋の藤井夫妻は大変な自動車マニア、昨年も古いオペルで参加されたが、今年はオースチンで来られ、必勝を期していたに違いない。勝利の秘訣は常にチェックポイントが何処にあってもよい様に走らせることにあるという。しかし大体チェックポイントはカンで判るとのこと。運転はご主人が殆どを受け持たれてた。
全く不名誉な話である。全部の参加車が大磯にゴールインして完走賞とやらを戴いたというのに、肝心我が取材車は谷底にゴールインしてしまったのだから。24日のことだ。
松本から来た道が上高地方面と乗鞍方面とに分かれる場所である。ちょっとした家並があって小さな店だの何だのがゴチャゴチャとある所だ。そこに一人の老婆が傘を振上げて通せんぼをしていた。何事ならんと車をとめてきいてみる。
「お前たちゃあ一体どういうわけで泥水はねかけて、すっとばして行くんだ。いくら競走だといったって、わしぁここに長く住んでいて、いままで静かに暮らしていたんだ。それをまあ、気違いみたいに車を動かして、それでも人の迷惑を考えているのか」思わずカメラを向けると、「ほい、写真なんか撮って何に使うつもりなのか。このばち当りが!」 いやはやこれには放々の態で逃げ出した。いつの間にか他の車は姿を消している。遅れてはならないとますます焦ってビューツとすっ飛ばした。
昨晩遅くなってから通った道だ。大したことはない。この安心感がいけなかった。釜トンネルの難所もホーンを一発ブーッと鳴らして通り過ぎたあたりから車のスピードはオーバーしてしまった。
右手から山の岩壁がせまってくる。「しまったぶっつかる」助手席のIさんが「危ない!」と声をあげた。思わず左に一杯ハンドルを切る。道はそこでまた右に曲がっているが、切りかえしでよけようと考えたのだった。左に切ってすぐにまた右に戻す。この計算は合っていた筈である。
すくなくとも道が湿っていなければ・・・・
しかしそうは問屋が卸さなかった。
プレーキを踏みこむひまもあらばこそ、車はそのままズズーッと前に進み、あわれ道巾3メートルのため、そのまま雨のために水量の増した梓川がシネスコのように目の前にせまってきた。
そこから下に落ちるまでの時間の不思議と長かったこと。そして恐怖感が全然しなかったことは特筆に価する。隣のTさんがこの世ならぬ叫び声を発しているのを何か他人事のよう聞いていた。しかし事態ははっきりとのみこんでいた。その証拠に落ちながらいよいよ頭蓋骨骨折とやらをやらかすかと考えていた。
落ちて行く瞬間が余りにも長かったが、好運にも落ちたところには木のツルが密集していた。それがそ場所に限って生えていたのである。まるで計算して落ちたかのように……。
中の人間は頭を天井に打ったので少々血が出た。しかし後でレントゲンをとってみたらヒビは入っていないという。
待望の頭蓋骨骨折はおジャンになった。
梓川に転落してしかも無事ときいて、友人達はどうしても信用しでくれなかった(N)
最後の審判車がゆく、ただ1台暮れかかる山道を急いで、やがて1台のレース車に追いつく。
審判車は砂ばこりを浴びながらもレース車を先にやる。ある町の十字路で急にピッチを上げ出した。しかも、
右折しなければならないところを真っ直ぐに。審判車のコース指示はご法度だが、すでに減点400で完全に入賞圏外。
猛然と審判車は追跡する。道路は白塵モウモウと息もつけない。ところが、相手はこれに負けじと飛ばす。
2車期せずして真っ白な砂ばこりの中のスピードレースを展開。
審判車はライトを点滅し、1kmも走ってようやくストップ。
−コースを間違えているので追っかけて釆たのですョ。
−ア−−−ソウデシタ、スミマセン、私はホコリをかけないように、少しでも先へ出ようと思って全速力を出したんですョ。
(日刊自動車新聞 1960年10月16日)
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