関東の某所に保管されている膨大な数の懐かしの日産車を見る機会があった。
短い時間であったが、そときに撮影した画像を掲載する。
格納庫のような広い倉庫に400台余りの日産車が保管されていた。すべて懐かしの日産車ばかりであり、そのいずれもが歴史的に非常に重要な車で、レースやラリーで活躍した車もある。
競技に出場した車両はゴールしたままの状態で保管されているが、他の車両は新車と勘違いするような素晴らしい状態である。
これらの車を一堂に見ることが出来たのはこれが最後の機会であり、今後は違う場所に分散して保管されるということである。
近い将来に公開されることを願っている。
日産は戦後オースチンのノックダウン組み立てをしていた時期があり、当時のダットサンのボディやウインドウなどにその面影が見られるような気がする。
保管されているのは日産車だが、昔は別の会社だったプリンスの車も数台保管されている。
昭和30年代を風靡した310型のブルーバード。テールライトが柿の種に似た形状であることから愛称が「柿の種」である。右側のツートーンのブルーバードは女性向けのファンシーデラックスという仕様で、ハイヒールの収納場所や化粧用ミラーなどが備えられており、内装も女性好みに仕立てられていた。
左の画像をよくみるとバンパーの真ん中に穴が開いているのが見える。310型ブルーバードまではエンジンスタート用のクランクが装備されており、クランクを差し込む穴である。
右側は初代のサニー。最近はサニーの車名も消えてしまった。
ピニンファリーナのデザインによる410型ブルーバード
左は2ドアの410型ブルーバード、右側はスポーツモデルのSSSでR411型ブルーバードである。
ワイパーは左右が同時に交わりながら作動するもので、通常「喧嘩ワイパー」と呼ばれたが、微妙なタイミングのズレでワイパー同士がぶつかることは無かった。
初代のシルビアと二代目のシルビア。
右側の画像の黄色の車はチェリーF2である。最近は見かけない珍車になってしまった。
初代のローレルと二代目のローレル。
フェアレディZ432 新車のようなコンディションである。
右の青いボディはオースターとスタンザとして発売された欧州風のセンスのよいデザインのFF車だったが、排気ガス規制をうまく処理できなかった不調のエンジン故に余り販売も振るわずに消えていった車だが、そのボディデザインと機能は素晴らしいものがある。ほとんど残っていないと思われるが、あれば是非入手したい。
マーチ・ターボのレース仕様。
マーチのレース仕様だが、フェンダーミラーが異様である。
オーストラリア大陸一周16,000kmを19日掛けて走破する1958年のモービルガストライアル(第6回豪州一周ラリー) でクラス優勝したダットサン210(エンジ色の車)
この過酷なラリーをわずか34馬力の988ccのOHVエンジンで完走したのは奇跡的である。
このときのドライバーを務めた難波靖治氏はその後監督としてモンテカルロ・ラリーやサファリ・ラリーに参加しており、日本での国際ラリーの先駆者といえる。(エンジ色のダットサンのリアフェンダーに名前が記載されている)
1968年の第14回イースト・アフリカン・サファリ・ラリーで優勝したR411型ブルーバードSSS(初期型)
悪路の振動でボンネットが開かないようにゴムのフックで固定している。
リアのトランクには取っ手がついており、パンパーの上には足を乗せる台がある。
泥濘地でスタックしたときにはナビゲーターがここに乗って体重をかけ、後輪の駆動力を増して泥濘地から脱出した。
ゼッケン4は510型ブルーバード。独立懸架と新しいOHCエンジンを得て1970年のサファリ・ラリーで優勝した。
1971年のサファリラリーで優勝したぜっけん11番のフェアレディ240Z
左側のフェンダーが完全に無くなっているが、ヘッドライトと方向指示器を針金で縛って完走している。
エンジンルームやフロントサスは一見したところ補強強化されているようには見えない。
室内は意外と改造が加えられていない。ハルダのシングル・マスターが2台装着され、マップポケットが増設されて、シートが交換されている程度だ。
エンジン・ルームは埃だらけ。ソレックスキャブが3連装され、オイルクーラーが増設されているだけで外見上ノーマルの車とほとんど変わらない。
こちらはゼッケン5番のモンテカルロラリー仕様のフェアレディ240Z
サファリと違い埃が問題にならない環境なので、エアークリーナー無しで、エアーファンネルが剥き出しである。
歴代の日産のラリーカー
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